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【浪曲解説】佐倉義民伝 宗五郎妻子別れ

浪曲解説

 

佐倉義民伝 宗五郎妻子別れ

口演・天中軒雲月  三味線・沢村豊子

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「佐倉義民伝」、元ネタは講談や義太夫で、浪曲はかなり古くから演じられている。桃中軒雲右衛門も持ちネタにしていた。

四代目天中軒雲月の十八番で、五代目は四代目から継承。師のネタであると同時に、自らの命を賭して多くの人々を救った宗吾郎の話を演じるのであるから、他のネタとはまた違う身の引き締まる思いで語ると、五代目雲月は言っている。

 

 

 

 

 

【あらすじ】

佐倉宗五郎(惣五郎、宗吾郎など字はいろいろ)は下総印旛郡公津村、岩橋村二ヶ村の名主。三百八十九ヶ村、五万人の総代となり、重税に苦しむ百姓のため将軍家へ直訴をする決意。だが、将軍直訴は重罪。連座で妻子が罪に問われることを避けようと離縁状を携え村へ戻る。

 

 

【佐倉宗五郎】

佐倉宗五郎(惣五郎、宗吾郎など字はいろいろ)は、生年不詳~1653。姓は木内。直訴し処刑されたことは史実であるが、出自など諸説あり、講談や義太夫で作られた物語によるところが大きい。

講談では、宗五郎の直訴により、松平伊豆守は佐原藩を調べ、農民に重税を課して私腹を肥やしていた家老らは処断される。伊豆守は堀田家に傷をつけず、また宗五郎を助命したいと考え、直訴を表沙汰にせず、宗五郎の身を堀田家預かりとした。ところが、奸臣に惑わされた堀田上野介は宗五郎夫妻と三人の男児を磔刑にしてしまった。のちに佐原藩に怪異が起こり堀田家は断絶となる。

怪異は宗五郎の祟りと言われたが、義人宗五郎は祟ったりはしない。怪異は上野介が宗五郎を殺した自責から精神を病んだものと言われている。宗五郎の霊は祀られ、今も佐原の宗吾霊堂には参詣者も多い。京成線の成田の二駅手前、宗吾参道駅から10分。近くには宗五郎のにまつわる史跡も多数ある。

 

 

【四代目天中軒雲月】

当代雲月の師、四代目雲月が「佐倉義民伝」を十八番にしていた。四代目雲月(1916~95)は福岡出身。初代雲月に入門。戦後、初代浦太郎、木村若衛、松平国十郎とともに四天王と呼ばれた。国本武春が「雲月先生の趣味は熱演」と言っていたが、爆発的な熱演は圧巻だった。そして、新作にも取り組んでいた。

「佐倉義民伝」では、船頭、甚兵衛が宗吾郎を舟に乗せ、禁を破り、印旛沼を渡す場面があり、舟を漕ぐ場面が見せ場になる。舟漕ぎながら節を聞かせる名場面が、当代にも受け継がれている。