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【浪曲解説】名工二代

浪曲解説

 

名工二代

口演・富士琴美 三味線・伊丹秀敏

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浪曲のジャンルに名工伝がある。「左甚五郎」「浜野矩随」など、超人的な名工たちが登場する。芸術家肌の変人もいれば、駄目職人が努力して名人になる、などという話もある。

名人が活躍するもの、名人になるまでの努力譚などとさまざまで、「浜野矩随」や、この「名工二代」のように、名人だった父親の遺志を継ぐ物語もあったりする。

 

 

【あらすじ】

 

面打ちの名工、源五郎は、能楽師の観世太夫に面を割れたのを苦に自害する。妻子は裏長屋に移りひっそりと暮らすが、息子の源之助は修業を積み、立派な面打ちとなった。観世太夫は引退するので最後に将軍の前で舞うことになり、源之助を源五郎の息子とは知らずに般若の面を注文する。

 

 

【能】

能は室町時代にはじまった。「謡」(声楽)と「囃子」(鼓や笛)で舞う舞踊劇で、登場人物が面(おもて)と呼ばれる仮面をつけるのは人物をより深く表現する演出の一つ。

能楽の発生過程は詳しいことはわかっていない。鎌倉後期に各地の寺社に猿楽座が作られ、曲芸、軽業に加えて、歌舞劇が演じられた。全国の猿楽座の中でも、興福寺支配の四座(円満井、坂戸、外山、結城)が盛んで、これがのちに金春、金剛、宝生、観世となる。

室町時代のはじめ、観阿弥(1333~84)、世阿弥(1363~1443)父子が今日の能の形を大成させたと言われている。観阿弥は永和元年(1375)頃、今熊野神社で猿楽を演じ、足利義満の庇護を受けるようになる。観阿弥の芸風は、将軍から庶民まで誰が見ても面白いものであったと、世阿弥は「申楽談儀」に記している。代表作に「卒塔婆小町」などがあるが、今日演じられている能の中にも観阿弥原作と思われる作品は多くある。

世阿弥は観阿弥の嫡子。足利義満の特別な庇護を受け、古典文学などを学び新しい能の創作、能の新たなテーマとして「幽幻」という美学を確立させた。現在までも能のバイブルと言われる「風姿花伝」を著わすが、足利義教は世阿弥を冷遇し、ついに世阿弥は佐渡へ流罪となり没した。世阿弥の作品は「高砂」「井筒」「砧」など50作品、今日でも上演頻度の高い作品も多くある。

世阿弥没後は劇的なストーリーときらびやかな衣装を用い、派手で面白い風流能が人気を呼んだ。江戸時代になり、幕府の式楽となってからは、武家政権の庇護のもと限られた演目を洗練、今日の古典芸能として芸術性の高い能となってゆく。

能の演目は、夢幻能、現実能に大別される。世阿弥が様式を練り上げた夢幻能は人間(ワキ)が化身(シテ)と出会い、後半シテが正体を現わし、物語ったり舞ったりする。対して現実の人間のみが登場する作品が現実能である。夢幻能のシテが演じるのは、死者(幽霊)だったり、天女、鬼、狐狸などの異界の者である。「井筒」では在原業平の亡き妻、「羽衣」では天女、「黒塚」では鬼女が、演じられる。

 医療も発達していなく、戦乱の続いたこの時代においては、死はあまりにも身近であり、それでも近親者の死は悲しい出来事であった。死者への悲しみの心情は貴賎を問わず同じであり、人々の心を慰めるためにも、死者や異界との交わりがドラマチックに描かれた。

名工の能面が死者の想いを受けて声を上げる浪曲の物語の骨子にも、能で描かれた死生観が受け継がれている。