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【浪曲解説】小田原情相撲

浪曲解説

 

小田原情相撲 (寛政力士伝)

口演・東家浦太郎 三味線・伊丹 明

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浪曲にはいろいろなジャンルのネタがあるが、相撲の話、「力士伝」はよく掛けられる。

強い相撲の話や、笑いをさそうのは弱い相撲、そこそこの相撲取りの話もある。横綱、大関、幕内、十両、褌担ぎ、どこにもいろいろなドラマが存在する。

中でよく演じられているのが「寛政力士伝」。寛政の頃(1789~1800)は、四代横綱、谷風梶之助、五代横綱、小野川喜三郎が活躍、さらには、谷風の弟子で大関の雷電為右衛門、これが時にコメディリリーフの役割も担いつつも大活躍する。

 

 

【あらすじ】

谷風の誕生祝の夜、谷風の一門が集まって、軍鶏を鍋にして酒盛。その席で伊豆の漁師で素人相撲の大岩岩五郎という奴が、江戸の相撲は岩五郎が怖くて小田原で興行が出来ないと豪語しているのだという噂を聞いた谷風は激怒。すぐに小田原で興行をするから、興行師のところへ使いに行けと雷電に命じる。しかし、雷電は「嫌だ」と言う。こればかりは師匠の命令でも絶対に駄目だと言う雷電。「何故だ」と聞く谷風に、雷電は「今、ちょうど軍鶏が煮えたところだから、使いに行くのは嫌だ」と言う。

 

 

【谷風梶之助】

1750~95。奥州仙台出身。赤ん坊の頃から怪力で、母親が赤ん坊の谷風を岩に繋いで農作業をしていたら、岩を引き摺って母親の元にやって来たり、少年時代には暴れている牛の角を掴んでぶん投げ、13歳の時に片手で四斗の米俵を持ち上げた、などのエピソードがある。18歳で江戸に出て力士となり、翌年初土俵、伊達家の後援を受け、1770年に前頭筆頭、76年、谷風梶之助を名乗り、大関。78年から82年まで63連勝、一度、小野川に敗れるが、その後、43連勝を記録している。89年(寛政元年)に横綱となり、小野川と二人で寛政の相撲黄金時代を築いた。

講談・浪曲では、「谷風の情け相撲」「橋場の長吉」「小田原相撲」などのネタがある。

 

 

【雷電為右衛門】

1767~1825。信濃出身。幼い頃から体格に恵まれ、地方相撲で力をつける。天明4年1784に江戸に出て、谷風梶之助に弟子入りする。4年後、雲州松平家の抱え力士となり初土俵。谷風亡き後も、小野川と鎬を削り、小野川引退後は大関雷電の一強時代を築き21年現役を勤めた。

講談、浪曲では「初土俵」の活躍や、「小田原相撲」などが有名。閂などの禁じ手があり、強過ぎて横綱になれなかった。「小田原相撲」では憎き敵の岩五郎を禁じ手の閂で倒す。

 

 

【相撲】

垂仁天皇の御世、出雲の野見宿禰が當麻蹶速たえまのくえはやを投げ殺したのが相撲のはじまりと言われている。

聖武天皇の御世、神亀元年、正林というものが強く、天皇より最手役を賜った。また、行司、四十八手などが決められた。

建久の頃、源頼朝の前で、河津三郎と股野五郎が相撲をとった。

元亀元年、江州常楽寺の相撲。織田信長が力士に弓を授ける。弓取りのはじまり。

後鳥羽天皇の後世、吉田追風が相撲司に任じられ、横綱の地位は吉田家が与えることとなる。寛永元年、相撲興行のはじまり。